ある時点において広く行われているスタイルや風習のことである。なかでも特に、人々の間で流行している服装や装いを指す。
多くのスタイルは多くの文化においていつでも受け入れられているが、デザインやファッションの流れは文化全体よりも速く移り変わるという点が重要である。「ファッショナブル」という表現はある人や物が最新の、もしくは最新ではなくとも評判の良い表現方法に沿っているか否かを指し示すのに用いられる。ファッションデザイナーはその中にあって「着られる芸術作品」を作ろうと試みる。
服飾の他、装いに関係する装身具、美容、香水などもファッションの範疇である。販売促進のためファッション写真、ファッション雑誌、ファッションモデルが発達し華やかなファッションショーも行われ、大きな産業を形成している。さらに広義には音楽などの文化やライフスタイルまでをも包括しうる。
世界的なファッションの中心地、あるいはファッションの首都と呼ばれるいくつかの都市がある。そうした都市ではファッションウィークが開催され、デザイナーたちは観衆に新作の衣装コレクションを発表する。ロンドン・パリ・ミラノ・ニューヨーク・東京は多くの大ファッション企業やブランドの本拠地となっており、世界のファッションに多大な影響力を持っている。
1つの社会の中でも、ファッションは時間の経過だけでなく年齢、社会階層、世代、地理条件などによっても大きく変化する。例えば、もし老人が若者のファッションに沿った装いをしたら、その老人は若者から見ても他の老人から見ても滑稽に映るであろう。最新のファッションに盲目的に追随する人は 「ファッショニスタ」もしくはファッション中毒と呼ばれる。
さまざまなファッションを着て見せびらかすという営為の体系は、さまざまなファッション文をファッションの文法を用いて組み合わせるファッション言語とも見做せる。
パリコレは世界中のファッションの流行をつくると言われるほど評価の高いコレクション。オート・クチュールの歴史が古く、センス、技術のレベルを誇る地、パリで開かれ、毎回、世界中から脚光を浴びる。通常約8日間の日程で、バイヤー、ファッションエディター、報道陣が大集合する。シーズンに先がけ、2月前後に春夏物を、7月前後に秋冬物を、世界中の名立たるデザイナーがこぞって新作を発表する。デザイナー自身にとってもヒノキ舞台となる。日本人デザイナーの参加も多数あり、最近では日本人モデルが海外からオファーを受けることも多い。デザイナーのなかには30年以上発表し続けている人もいる。
「パリ・プレタポルテ・コレクション」は3月に秋冬コレクション、10月に春夏コレクションが2週間前後の日程で開催発表される。 また「パリ・オートクチュール・コレクション」は1月に春夏コレクション、7月に秋冬コレクション、メンズコレクションも同じく2月と7月に開催される。日程については毎年に決められている。これらを略して「パリコレ」という。
数多くのデザイナーがクリエーションを重視した新しい作品を発表し、世界各国のメディアやファッション関係者、おもにバイヤー、ジャーナリスト、フォトグラファー、カメラマン、セレブリティが開催時に招待客として前列に並ぶ。その他、特に有名デザイナーのメゾンにおいては、世界的な著名人やVIP顧客人などが招待される為に、実際には一般の人々が直接会場で見ることがとても難しい状況である。
世界の有名なプレタポルテのコレクションは主にニューヨーク・ロンドン・ミラノ・パリの4カ国4都市で開催される。多い時には各国から参加するデザイナーを合わせて総勢200近いメゾンが参加する。 なかでもパリ・コレクションは世界的にも一番に規模が大きく、その年のファッションの流行が左右されるため注目度は非常に高い。 パリ・コレクションは84年、ルーブル美術館中庭に特設テントを設営しそこをメイン会場として、一定期間にまとまった形でファッションショーが開催されていたが、1998年頃からはブランドごとにルーブル美術館内の地下ホールや独自に会場を設けるメゾンも多くなった。
オートクチュール・コレクションの歴史はベルエポックと呼ばれた文化的爛熟期の20世紀初頭にさかのぼる。
オート(haute)クチュール(couture)を作り出し、高級衣装店協会を設立したシャルル=フレデリック・ウォルトが先頭に立ち、最高の素材と技術、芸術的センスで仕立てられる最高権威のコレクション「パリ・オートクチュール・コレクション」として1910年頃から開催されるようになった。 それゆえに「パリ・コレクション」とは、もともとはこのオートクチュール・コレクションを意味する言葉であった。 現在のように「パリコレ」がプレタポルテを指すようになったのは1970年代のこと。 1950年頃までは世界のオーダー・ファッションをリードする存在であったが、1950年代、プレタポルテがファッションの奔流として台頭し、1960年代に始まったプレタポルテ・コレクションから主導権を決定的なものにした。 1968年の五月革命を期に、社会構造が真の意味での現代へと突入したフランスでは大量消費時代のモード、既製服モードプレタポルテへと移り始める。 第二次大戦の終戦直前には106ものメゾンを数えたフランスのオートクチュールも、1980年代から1990年代にかけての世代交代期には20あまりにまでに激減した。
「パリ・オートクチュール・コレクション」は現在、厳密な意味において(定義を満たし、活動の力点をオートクチュールに置く)オートクチュールの技術と資本を備えているメゾンは10前後とも言われている。 最高級注文服をオーダーする顧客は年々減少の下降の一途であり、世界中の顧客数が2000人に満たないのではないかという説もある。 フランスが誇る一文化としてオートクチュールを鑑みた際、享受層が極端に限定される文化の衰退は、もはや時代の移り変わりの象徴と言えるかも知れない。
パリで開催される、オートクチュール、プレタポルテ、通常どれも日本では「パリ・コレクション」と言うが、しかし、現在において「パリ・コレクション」というとまず先に、プレタポルテのコレクションを指して意味するようにもなっている。それらを区別する為にオートクチュールは「パリ・オートクチュール・コレクション」と呼ばれている。